平成十一年十月三十一日に閉館した大坂ミナミの中座に、しばえ門狸というこんな話が残っていました。芝居の無事上演と 「大入り 」の祈願をしたという祠は舞台下(奈落)にあり、ここにはしばえ門狸だけではなく、中座の奈落にまつられていた、いくつかの守り神も合祀されて八兵衛大明神ととしてまつられていました。藤山寛美や片岡仁左衛門たち役者からは 「おタンキさん 」の愛称で親しまれていたようです。ところが閉館にともない祠もとりこわされます。 江戸時代から長い間、ひとつ屋根の下で暮らしてきた狸たちも、八兵衛大明神は天王寺の生国魂神社へ、そして、しばえ門狸は淡路島の洲本八幡神社へとひきとられてゆきました。閉館の翌日、御堂筋を練り歩き大阪に別れを告げて、久しぶりに淡路へ帰った、しばえ門狸には、立派な祠が建てられるそうです。”しばえ門はん、長いこと大阪の芝居を見守ってくれはって、おおきに。これからは、わてらが淡路の島へ、しばえ門はんに会いに行かせてもらいまひょ。“
文・絵 東口恵子(ひがしぐちけいこ) 発行日 平成12年5月(2000年) 発行所 きまぐれ書房 大東市川中新町