あとがき
龍光寺と龍腹寺(のちに龍間寺)跡は大東市竜間 に、龍尾寺は四条畷市南野に現在もあります。 このお話は龍尾寺の縁起書に書かれていたもの ですが、縁起書には奈良時代に行基によって建立さ れたと書かれています。また、四条畷市史第四巻に は平安時代初期の建立となっています。 雨ごいは、一日一回、夜酒を四升ずつ供え、神楽 は一日二回、七日間続けられました。雨ごいの期間 中は庄屋、年寄りが神前に集まり、氏子百姓は太鼓や 鉦を打ち鳴らしと南野村元文旧記帳に書かれて いますが、いつ頃まで続いていたのか定かではあり ません。 龍尾寺は当初、飯盛山麓の観音山(又は寺山)に ありましたが、あまりにも人里から遠く離れていた ため江戸期に入った寛永三年(一六二六)八月二十 二日、現在の龍鼻山に移転し、地域住民の信仰を集 めることになりました。 また、行基が、お経を唱え、行をしたといわれる 滝は権現の滝といわれ、そこから流れる川は権現川 と呼ばれています。そして龍尾寺には寺宝として龍 の尾と伝えられるものが現存しています。